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制度の内側を信じすぎた私たちへ──『中干しクレジット』、気づけば失われていた1トンの信頼

地球温暖化対策としてカーボンクレジット市場が拡大する中、水田の中干しによるメタンガス排出削減効果が注目され、日本・アジア諸国でクレジット化の動きが爆発的に広がっています。

「クレジット1トンは、1トンのCO₂を削減したという証明である。」
この言葉に、私は制度設計者としても、支援者としても、現場支援者としても、深くうなずいてきました。
だが今、1トンの“信頼”が、静かに、そして着実に揺らいでいます。

中干クレジット──この制度に最近関心が集まり、私のもとにも様々な問い合わせが舞い込んでいます。
「御社は中干のクレジット化を扱わないの?」
「今から始めようと思うのだけど、やり方を教えてもらえますか?」
──そんな声が寄せられています。
同時に、現場の農家からはこうした声も届きました。
「データ出したけど、1年で1000円も手に入らなかった」
「説明がほとんどないまま進んで、何がどうなってるか分からない」

この制度は、本当に“農業を支える制度”なのか?
それとも、“農業の制度を使うための制度”になっていないか?


この違和感を、私は正面から言語化することにしました。

第1章:報道されない炭素市場の激震──“中国37件180万トン無効化”という事実

2024年3月。世界の炭素クレジット制度Verraは、中国で認証された中干プロジェクト37件(合計180万トンのVCU)を一括無効化しました。金額換算で約10〜15億円相当です。
その理由は、虚偽報告、農家への同意なし、審査機関の手抜き、そして契約の不在によるものです。
ShellやPetroChinaといった企業が、“オフセット証明”として使ったクレジットは、制度の名の下に虚無化されました。
同年インドでも、水田プロジェクトをめぐるスキャンダルが浮上。
農家に報酬が支払われず、契約内容も不明確なまま、クレジットだけが“制度的に生成”されていた事実がNGO調査で明らかになっています。

第2章:「制度疲労」ではなく「信頼疲労」が進行している

これらの事件は、氷山の一角。「中国だから」「インドだから」と切り捨てるのは、秋赤に甘いです。
不正の背景には、プロジェクト実施者、審査機関が絡んで、制度施設計の脆弱性も潜んでいます。
実際、これらのスキャンダルを受けて、Gold Standardは2024年夏に農業系の新規登録を一時停止。Verraも手法見直しと審査機関の認定停止を発表しました。
さらに、VCMI(Voluntary Carbon Markets Integrity Initiative)は2024年の評価レポートで 「中干のモデル式への過度依存は“慎重取扱区分”とすべき」と明記しました。
この一文が、どれほど重大か、実は、国内にはほとんど届いていません。
にもかかわらず、今なお中干クレジットが“次の成長領域”として語られている現状に、私は強い違和感を覚えています。

「え、それってもう古いでしょ?」と、世界では見なされ始めている。
またしても、日本だけが情報の“周回遅れ”に陥ってしまうのか?


この問いかけを、今あえて言葉にしたいのです。

第3章:「中干をやらないのか?」の相談が、私に増えている

現場は今、“混乱”に近いです。
自治体は「やるべきか分からない」。
JAは「上から言われたけど、本当に農家のためになるのか?」と問い直しを始めています。
一方で、プレゼン資料だけでプロジェクトを語り、ESG用語とクレジット収益の可能性だけで投資を呼び込むスタートアップも現れています。
私は、そうした“にわか”の動きに対して、決して正面から批判するつもりはありません。
だが、彼らの語る1トンが、どこまで現場と制度のリアリティを見ているのか?
それは問われるべき時期に来ています。

第4章:モデル式クレジットの精度は、誤差30%以上とも

中干クレジットは、その削減量の多くを「モデル式」で算定しています。
衛星、水管理履歴、地域気象などを使い、メタン発生量を推計します。
しかし、Oxford Net Zeroは2024年の報告で「モデル推計と実測の乖離は±30%を超えるケースが多発している」と警鐘を鳴らし、精度への慎重な姿勢と「第三者でも理解できるような透明な説明表示」を推奨しています。

“制度の透明性とは、信頼されることよりも、疑われても壊れないことで決まる。”
引用:Oxford Net Zeroレポート2024

この言葉は、まさに中干クレジットに向けられたものかもしれません。

第5章:「使われる制度」から「使いこなす制度」へ

私はこの分野を諦めていません。
制度そのものの可能性を信じているからこそ、制度が信じられなくなったときに、あえて声をあげる必要があると感じています。
私はこれまで、制度設計、科学的LCA、自治体連携、農家支援の現場をすべて横断してきました。
そして今、「制度を再び信じられるものにする設計図」を静かに整えています。
それを今、すべて公開するつもりはありません。
ただ、問いを共有できる人が増えることのほうが、制度の成熟には重要だと感じているのです。
「あなたの信じている1トン。それは、本当に信じられる1トンですか?」

中干しクレジットの信頼性向上に向けた相談窓口

このブログは、制度を壊すために書いたのではありません。
制度を育て直すために書きました。
もし今、あなたが自治体、JA、VC、CVC、研究機関、農業団体のいずれかの立場で、
「少しでも気になる」と感じたなら、ご連絡ください。形式は問いません。
匿名のDMでも、名刺交換後の一言でも構いません。

“制度を使う人が、制度を変える時代が始まっています。”

おわりに:「変えるべきは、制度だけではない」

この制度に希望を託して動いた人たちがいます。
この制度に振り回されて疲れた人たちもいます。
制度は人がつくるものであり、使い方しだいで毒にも薬にもなりえます。
私は、制度を育てなおす一人の実務家として、これからも「1トンの信頼」を問い続けていきます。

「制度をつくるのは人間である。制度を変えるのもまた、人間である。」
──アマルティア・セン

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