インサイト

ネパールの土石流災害から見えた氷河リスク──未来技術を待たず、今できる気候対策

豪雨ではなく「山の崩壊」から始まった災害

2026年8月26日の朝、ネパールと中国の国境に近いヒマラヤで、大きな揺れが観測されました。当初は地殻変動による地震とも受け取られましたが、その正体は異なるものでした。
ICIMOD(国際総合山岳開発センター)によると、午前8時37分ごろ、ネパール・ラスワ郡のランタン・リルン北面から、大量の岩石と氷河の氷が崩落しました。岩石と氷は約1,200メートル下の谷へ落下し、砕けた岩石や氷、融解水が河床の土砂や水を巻き込みながら大規模な土石流へ変化しました。崩壊による振動は、米国やドイツの地震計でマグニチュード5級に相当する信号として観測されています。(※1)
土石流は、ネパール北部の中国国境に近いラスワ郡から河川沿いを南へ流れ、約100キロ下流にある中部ネパール・ダーディン郡のガルチ付近でも急激な水位上昇が確認されました。山岳地帯で始まった災害が、約100キロ離れた地域まで影響を及ぼしたことになります。

今回の現象は、典型的な氷河湖決壊洪水(GLOF)ではありません。ICIMODは、発生源に氷河湖は確認されておらず、山腹から発生した岩石・氷の崩壊が土石流へ変化した現象と整理しています。そしてもう一つ特徴的なのが、大規模な洪水を説明するような豪雨が確認されていなかったことです。
今回の洪水は「空からではなく、山から来た」災害でした。
9月26日に国連ネパール事務所が公表した政府統計では、死者は1,451人を超え、5,000人以上が行方不明とされています。また、13の水力発電プロジェクトが影響を受け、交通、貿易、観光にも被害が広がりました。同事務所は同日時点で、被害・損失額をネパールのGDPの約4~5%と推計しています。(※2)
ただし、ネパールに警報システムがなかったわけではありません。ICIMODによれば、洪水発生後、ネパールの水文気象当局はラスワ、ヌワコット、ダーディン、チトワンなどの約68万人へSMS警報を送りました。下流では避難や警戒の時間確保につながりましたが、最上流のラスワガディやティムレでは、警報が発令された時点ですでに洪水が到達していました。
ここで問題になるのは、単に「警報設備が足りなかった」ということではありません。従来の洪水警戒は、雨量や河川水位を主要な情報としてきました。しかし今回、災害の起点となったのは標高5,000メートルを超える山腹です。
「災害の起点が変われば、監視すべき場所も変わる」
これまでの災害を前提につくられた防災の仕組みを、新しいリスクに合わせて見直す必要が出てきています。
※1 出典元:ICIMOD「Kyirong-Rasuwa Flood 2026 | Nepal-China Cryosphere Risk」
※2 出典元:United Nations in Nepal「One Month Since the Rasuwa Floods: Six Ways Coordinated Action is Making a Difference」

温暖化が変える「山の安定」という前提

では、なぜ山の岩盤と氷河がこれほど大きく崩れたのでしょうか。
ここで注意したいのは、「今回の災害は気候変動が原因だった」と単純に断定しないことです。山体崩壊には、岩盤の性質、断層、地形、融解水など複数の要因が関係します。
一方で、高山帯を安定させてきた環境条件そのものが、温暖化によって変わりつつあることも分かっています。
その一つが「永久凍土」です。標高の高い山では、岩の亀裂に存在する水分が長期間凍った状態にあります。こうした氷は、場所によっては岩盤の亀裂を埋め、山体を安定させる役割を果たします。しかし、気温が上昇すれば永久凍土は融け、それまで凍結していた亀裂へ水が入りやすくなるなど、岩盤を安定させてきた条件が変化していきます。(※3)

暫定的な分析では、今回の崩壊地点は標高5,000~5,500メートルの北向き斜面にあり、ランタン・リルン周辺の最近の夏季気温は過去の平均的な記録より約1.5~2.0℃高かったとされています。
同じ分析では、ランタン流域の氷河は1957年以降、失われた氷を水に換算すると、平均で15〜25メートルの厚さに相当する量が減少したとされています。氷河が後退すれば、長年斜面の下部を支えてきた氷の圧力や、山体の力学的なバランスも変化します。
温暖化は、ある日突然「山を崩すスイッチ」を押すわけではありません。永久凍土、氷河、融解水といった山を安定させてきた条件を少しずつ変え、災害が起こる環境そのものを変化させていく。この視点が、今回の災害を気候変動との関係で考えるうえで重要です。
※3 出典元:ICIMOD「Water, ice, society, and ecosystems in the Hindu Kush Himalaya: An outlook」

世界で加速する氷河減少と広がる災害リスク

こうした氷河の変化は、ヒマラヤだけの特殊な現象ではありません。
2025年にNatureに掲載された国際研究「GlaMBIE」は、世界の氷河の変化を複数の観測手法から統合して評価しています。その結果、世界の氷河は2000~2023年の間に合計約6.5兆トンの氷を失ったと推計されました。年間平均では約2,730億トンです。(※4)
さらに重要なのが、その速度です。2000~2011年には年間平均約2,310億トンだった氷河損失が、2012~2023年には約3,140億トンに増え、損失速度は約36%加速しました。また、2000年以降、世界全体では氷河の約5%が失われ、地域によっては39%に達したとされています。

そして氷河の変化によるリスクは、「氷がなくなる」という環境変化だけではありません。
今回のネパール災害とは異なるタイプの氷河起源災害ですが、2023年にNature Communicationsに掲載された研究では、世界で約1,500万人が氷河湖決壊洪水(GLOF)の潜在的な影響にさらされていると推計されました。そしてその半数以上は、インド、パキスタン、ペルー、中国の4か国に集中しています。(※5)
今回のネパール災害自体はGLOFではありません。ただし、高山で発生した異変が河川を通じて下流へ伝わり、集落だけでなくインフラや経済活動まで巻き込むという点では共通しています。実際、今回のネパール災害では13の水力発電プロジェクトが影響を受け、交通、貿易、観光にも被害が及びました。
「山の変化が下流の経済へ連鎖する」
という構造です。
氷河の変化は、遠い山岳地域だけの環境問題ではありません。その下流で暮らす人々や、社会インフラ、企業活動へ波及する「物理リスク」でもあるのです。
※4 出典元:Nature「Community estimate of global glacier mass changes from 2000 to 2023」
※5 出典元:Nature Communications「Glacial lake outburst floods threaten millions globally」

スイスの事前避難が示した「適応」の可能性

ブラッテンの崩壊自体を気候変動に直接帰属させるものではありませんが、山岳ハザードへの「適応」を考えるうえで示唆的な事例があります。
2025年5月、スイス・ブラッテン村で、ビルヒ氷河とその上部に堆積していた大量の岩石が崩落し、村の大部分が埋まりました。
しかし、その9日前の5月19日の時点で、村の住民約300人はすでに避難していました。
スイス連邦政府によると、5月上旬からビルヒ氷河上部では複数の小規模な岩石崩落が発生していました。危険性の高まりを受け、自治体は5月19日に約300人の住民を避難させています。同じ日には、スイス連邦地形測量局swisstopoによる「Rapid Mapping」の航空撮影も開始されました。(※6)(※7)
Rapid Mappingとは、自然災害の際に航空写真や衛星画像などの地理情報を迅速に取得し、状況把握や対応に役立てる仕組みです。
ここで重要なのは、スイスに「山を崩れなくする未来技術」があったわけではないことです。
山は崩れ、村の大部分を守ることもできませんでした。それでも、「危険が迫っている」という情報を、「人を逃がす」という判断に繋げたことで、結果は変わりました。
気候変動への「適応」とは、自然現象そのものを完全に止めることだけではありません。起きる可能性のある被害を、社会側の備えによって小さくすることでもあるのです。
※6 出典元:Swiss Federal Council「Zeichen der Solidarität: Bundesrat beantragt Soforthilfe für Gemeinde Blatten」
※7 出典元:swisstopo「Swisstopo fliegt Rapid-Mapping-Einsatz bei Blatten」

ネパールにも見えていた崩壊前のシグナル

ここで、ネパールの災害を見る目も少し変わります。
ICIMODが10月13日に公表した最新の暫定整理では、Sentinel-1のInSAR衛星観測により、今回崩壊したランタン・リルンの斜面で、崩壊前の7月7日~8月24日の48日間に最大約40センチの視線方向変位が確認されています。
ただし、これは「40センチ変位すれば必ず崩壊する」という意味ではありません。斜面変位は危険性を評価する重要な手がかりになりますが、変形している斜面がすべて崩壊するわけではなく、日時や時刻まで正確に予測することは難しいとされています。(※8)
それでも、後から振り返れば斜面の変化を捉えることはできていました。
問題は、技術が存在するかどうかだけではありません。どこを監視し、どの変化を危険と判断し、その情報を誰が受け取り、誰が避難を決めるのか。観測から行動までを一つの仕組みとしてつなげる必要があります。

一方、ネパール国内には、すでに既存技術を組み合わせて氷河リスクを小さくした事例もあります。
エベレスト地域にあるイムジャ氷河湖では、UNDPなどの支援によって人工水路を整備し、湖の水位を3.4メートル低下させました。さらに湖周辺に水文・気象センサーを設置し、下流約50キロの高リスク区間にある6つの主要集落へ自動警報サイレンを設置しています。(※9)
使われているのは、まだ実用化されていない未知の技術ではありません。衛星、センサー、土木、通信といった、すでに存在する技術の組み合わせです。
「既存技術でも、現在のリスクは減らせる」
※8 出典元:ICIMOD「Understanding the Gyirong–Rasuwa disaster of 26 August 2026: A preliminary synthesis」
※9 出典元:UNDP Nepal「Community-based Flood and Glacial Lake Outburst Risk Reduction Project」

技術を「行動」に変えることが気候適応の鍵

こうした対策には当然コストがかかります。しかし、単なる「防災費」と考えると、その価値を小さく見積もることになります。
WMO(世界気象機関)によると、多災害早期警戒システムのカバー範囲が限定的な国では、十分に整備されている国と比較して、災害関連死亡率がおよそ6倍高いとされています。またWMOが紹介する評価では、早期警戒システムへ1ドル投資することで、平均9ドルの純経済便益を得られると推計されています。(※10)
つまり早期警戒は、単なる「防災のためのコスト」ではなく、人的・経済的損失を減らすための投資として見ることができます。
ただし、設備を置けば終わりではありません。センサーが斜面の変化を捉えても、その数字が研究者の手元にあるだけでは人は避難できません。観測した情報を分析し、危険性を判断し、行政や住民へ伝え、行動につなげるところまで設計する必要があります。
今回のネパール災害後にまとめられた「Kathmandu 10 Action Points」でも、衛星を活用した多災害リスク地点の把握、警報や情報共有の改善、機関横断のデータ基盤整備などが盛り込まれました。(※11)
提言では、国境を越えた協力を「生データの共有」から「意思決定に使える情報の提供」へ転換することが掲げられています。
技術そのものを増やすだけではなく、データを「誰かが行動できる情報」に変える。スイスの避難事例とネパールの災害を比べると、その重要性が見えてきます。

そして、この考え方は山岳地域の防災だけに当てはまるものではありません。
今回のネパール災害では、人命や住宅だけでなく、水力発電、道路、貿易、観光などにも影響が及びました。山で起きた災害が、社会インフラや地域経済へ連鎖したのです。
企業にとっても、重要なのは「自社拠点で過去に災害が起きたか」だけではありません。気候変動によって物理リスクが変わることを前提に、自社拠点だけでなく重要な調達先や物流網まで、どのようなリスクにさらされているかを見る必要があります。
同時に、警報設備や気象データがあるだけで十分なのか、異常が見つかったときに誰が事業停止や避難を判断するのかまでBCP(事業継続計画)に組み込まれているかも重要です。
これまで企業の気候変動対応では、自社のCO2排出量を減らす「緩和」が注目されてきました。しかし、気候そのものがすでに変化している以上、「温暖化をどう止めるか」と同時に、「変わった気候の中でどう事業を続けるか」という適応の視点も必要になっています。
※10 出典元:World Meteorological Organization「Weather forecasts and early warnings」
※11 出典元:ICIMOD「Kathmandu 10 Action Points: HKH countries chart a path to better preparedness after catastrophic Rasuwa-Gyirong flood」

未来技術を待たず「適応」と「緩和」を進める

ここまで見てきた対策には、一つの限界があります。
衛星で危険な斜面を監視する。警報を出す。住民を避難させる。氷河湖の水位を下げる。これらは、すでに起きている気候変動の影響から人や社会を守る「適応」です。
しかし、適応だけでは温暖化そのものを止めることはできません。温暖化が進み続ければ、氷河や永久凍土の変化も続き、将来対処しなければならないリスクがさらに増える可能性があります。
だからこそ必要なのが、温室効果ガス排出を減らして将来の温暖化を抑える「緩和」です。
一方で、「脱炭素には未来の革新的技術が必要だから、今できることは限られている」という考え方にも注意が必要です。
IEA(国際エネルギー機関)の「Net Zero Roadmap 2023」では、再生可能エネルギーの拡大、エネルギー効率の改善、メタン排出削減、電化など、現在利用可能な技術を拡大することで、2030年までに必要な排出削減の80%超を実現できるとしています。(※12)
もちろん、2050年のネットゼロに向けては、今後の研究開発やコスト低下が必要な技術もあります。未来の技術は必要です。
しかし、未来技術が完成しないからといって、今は何もできないわけではありません。
適応には、現在使える衛星、センサー、警報、土木技術がある。緩和にも、現在使える再エネ、省エネ、電化、メタン削減があります。
ネパールの災害から見えてくるのは、気候変動への対応で問われているのが、「次にどんな革新的技術が生まれるか」だけではないということです。
「今ある技術を、社会で機能させる」
今日の被害には、今日使える適応策を。
将来の温暖化には、今日使える緩和策を。
その先の難しい課題には、未来技術の研究開発を。
気候変動の影響がすでに現実になっている以上、「今ある技術」を使うことと「未来の技術」を育てることを、同時に進める必要があります。
※12 出典元:International Energy Agency「Net Zero Roadmap: A Global Pathway to Keep the 1.5 °C Goal in Reach」

Linkholaの取り組み

ここまで見てきた「適応」を、弊社のサービス「EARTHSTORY」が直接担うわけではありません。
一方、気候変動によるリスクそのものを将来さらに大きくしないための「緩和」では、CO2削減・吸収活動を一過性の取り組みで終わらせず、社会の中で継続できる仕組みに変えていくことが重要です。
弊社Linkholaでは、ボランタリーカーボンクレジットの創出を支援するサービス「EARTHSTORY」を提供しています。カーボンクレジットの創出・発行・審査・取引などを支援し、企業や地域による脱炭素活動を環境価値として社会・経済の中で活用する仕組みづくりに取り組んでいます。
すでに存在するCO2削減活動を、継続・拡大できる価値へと変えていく。これもまた、未来技術を待たずに「今できる気候対策」を社会へ実装していく一つの方法です。
EARTHSTORYやボランタリーカーボンクレジットの創出・活用にご関心をお持ちの方は、ぜひサービスの詳細をご確認のうえ、お気軽にお問い合わせください。

>>EARTHSTORYの詳細はこちら

関連記事

TOP